インタビュー

株式会社富士オートメーション 代表取締役社長 高窪裕治

大切なことは、向上心と好奇心のこの2つ。やっぱり面白がらないと成長しない

聞き手:編集部・渡邊 話し手:株式会社富士オートメーション 代表取締役社長 高窪 裕治様 埼玉県の富士オートメーション株式会社の高窪社長様、やっぱり面白がらないと成長しないと語る高窪社長。 2代目として社長業を引き継ぎ、苦境にも負けず会社の維持を成し遂げてきました。 今までの経緯と、社長独自の取り組みや今後の展望についてを詳しくお伺いしました! ―――本日はよろしくお願いします。はじめに、会社の概要や会社の取り組みを教えていただけますか。 高窪社長:1963年に浦和市(現さいたま市)で僕の父が創業しました。基本的には創業当時から、カスタムオーダーでエレクトロニクス分野におけるPC周辺機器・端末機・制御装置などの仕様検討から設計・ソフトウェアの開発、製造、試験、完成品まで一貫体制で行っています。僕の父が売っていた技術は、いわゆるデジタルの回路設計で、創業当時はちょうど世の中の電気製品がアナログからデジタルに変わる転換期だったので、デジタル回路設計の需要が「どうにもこれから伸びそうだ」ということで独立して会社を始めたというのが創業したきっかけです。始めた当初は、いろいろ売り込みしようかぐらいのことを考えていたみたいなんですが、独立前からお付き合いのあった企業様から「独立するならこれやって」みたいな感じで仕事を頼まれたらしいですね。 そのため、創業当時からご縁があって富士電機さんや大手企業様からのお仕事をいただいていたので、ある意味営業らしい営業をせずに、仕事をもらえていたと。言い方は悪いんですけども下請けとしてスタートして、そのまま下請けとして大きくなっちゃった感じです。 また、創業して数年で、富士通株式会社との付き合いができてきて、そこでやり始めた富士通・富士電機さん向けのインフラ関係の仕事の需要が伸びるのに合わせて、会社の業績も伸びて行ったっていう感じです。 目次 外国での生活、経験が僕の人生にとってはとても大きいものでした率先して自分が頭を下げる、嫌なことほど逃げない私は普通の人間なので、結局もう経験でしか乗り越えられない付加価値をいろんな場面で高めていかないといけない株式会社富士オートメーションについて外国での生活、経験が僕の人生にとってはとても大きいものでした ―――そうなんですね、そんな中で、高窪社長が2代目社長になるまでの経緯について教えていただけますか。 高窪社長:大分遡りますが、高校生の時に1年間オーストラリアに留学する機会があったんですね。外国での生活、経験が僕の人生にとってはとても大きいものでした。大学進学の際、父が会社を継ぐ必要もないし、好きなことをしていいよと言ってくれたので、海外経験から英語をもっとやりたいという気持ちで、英文科に進学し、大学卒業後は、英語を使える仕事をしたいという意思の元、富士通株式会社の海外事業部に縁があり、就職しました。 当時はバブルの直前で、特に富士通なんかも「海外にとにかくこれから事業を拡大していこう!」という時期だったので、そういう海外向けの人材をかなり採用してたんです。入社して7年経った頃、アメリカに駐在する機会がありまして、結婚したばかりの夫婦2人で2年間アメリカに駐在してきました。 当初は5年間の予定だったんですが、当時はそのアメリカが不況の真っ只中で、私が出向した会社もあまり業績が良くなくて、結局他社に売却をすることになっちゃいまして、2年で帰ってきちゃったんですよ。で、帰っては来たものの、あんまり仕事でやることはないんですよね。大会社だったので、クビにこそならなかったんですけれど、残念ながら、どこかの部署の手伝い的なポジションになってしまって。あまり面白くないなと思っていたところに、父のほうから「だったら会社手伝うか」みたいな話になって、それでうまくまんまとそれに乗せられて(笑)転職したのが34歳のときですね。 ―――文系で製造業に携わることに関して抵抗はありませんでしたか。 高窪社長:電気製品みたいなものは昔から好きで、ラジオキットなんかを組み立てたりとか、そういうのはちょっとやってた時期がありました。だから嫌いとかでは全然無いです。ただ、仕事にできるってほどの知識や技量とかは身に着けてなかったので、それをさすがにもう1回やり直すっていうのは厳しいなと思ってやらなかったんです。でも根っこのところでは製造業的なものってのは嫌いじゃなかったですね。 ―――世代交代したあと、ご苦労された経験はありましたか。 高窪社長:何か逆にね、ないです(笑) それは先代が、あんまり現場やお客さんのところに行かなかったからなんですよ。先代社長は現場をもう社員に全部任せちゃっていて。僕も社長になってからわかったんですけど、社長って社外活動がやたら増えるんですよ。父は社長業に加えて*ロータリークラブに入っていたので、もう社内にいるより社外の方が多いぐらいな感じで。そのおかげで、社長交代してもあんまり周りから、とやかく言われなくてですね、むしろ内部の方からは「やっぱり息子がやるよね」みたいな感じで安心されましたね。父が創業した当時に一緒に働いていた頃の仲間というのは、当時の時代的にも、週末とかになるとわが家に遊びに来てたりしたんですよ。なので、僕のことも子供の頃から知ってるんですね。だから社長の息子というのはマイナスの見方ではなくて、もう会社入ったんですね、社長になるんですね、みたいにプラスに見てくれた感じでした。逆に、僕と年齢が近かった人たちの方が、あの息子が突然入ってきて、すぐ役員になってみたいな感じの反発があったのは事実です。 率先して自分が頭を下げる、嫌なことほど逃げない ―――会社を継ぐ上で大事にしていた/している部分はどんなことでしたか。 高窪社長:入社してからは営業系の仕事をやることが多かったので、どうしても謝りに行くようなときがあるわけですよ。そういうときはとにかくもう率先して自分が頭を下げに行くとかね。嫌なところで逃げちゃうと、それは絶対ずっと根に持たれるなっていうのは見てきたので、嫌なことほど逃げないようにしようっていうのは常に心がけてました。会社に最初に入ったときは、自分がいつかバトンタッチする日のことを考えて、どんなことができるかなっていう考えでやったりもしてたんです。ですが、だんだん現実がわかってくると、「会社はやっぱりまず維持しなきゃいかんな」というのが、一番大事になってきまして。やりたいことをやって、そのままうまくいけばいいんですけど、うまくいかなかったときに会社ってやっぱり潰れるんだなっていうのがわかってきて。さすがに会社を潰すわけにいかないねってなってからはとにかく、維持継続が第一の目標になってしまいました。残念ながらというか、面白くない話ですけど。   ―――いやいや、、うまく行かないときというのはどういう状況か教えていただけますか。 高窪社長:やっぱり人間って自分の経験がまず基準になるものなんですね。会社に入ったときに同世代ぐらいの人がいて、そういう人たちを味方にして、やっていこうと思ったんですが、皆さん温度差がありまして。一緒にやりましょうと言ってくれる人もいれば、全然そういう話にのって来ない人もいるし、そもそも、言い方が難しいですけど、一緒に仕事することが、レベル的に難しいっていう人たちもいるわけですよ。 レベル的に難しいというのは、僕が「こういうことを考えてるんだけど」っていう話をしても、うまく伝わらない、自分と基準が合わないんです。そういうこともあって、最初は特に、誰を仲間にしてやっていけばいいのかっていうのがすごく難しかったです。 でも、正直未だに乗り越えてなくって、ちょっとうまく行きかけては思いがけないことが起こってまた元に戻ってみたいなのの繰り返しの方が多いですね(笑) 私は普通の人間なので、結局もう経験でしか乗り越えられない ―――経営者の抱える責任の重さがあると思うんですが、社長はどうやってこう乗り越えてきたんですか。 高窪社長:僕は普通の人間なので、結局もう経験でしか乗り越えられないと思っています。 例えば、社長になる前は、「会社に借り入れがいくらあるよ」って言われても、あまりピンとこなかったわけです。大変だな、ぐらいにしか思ってなかったんです。社長になって借り入れの保証人のハンコを押させられるようになって、その時に初めて「何千万という金額、これって、会社うまくいかないと全部自分のとこに来る、つまり自己破産だよね。」と、リアルに感じたんです。最初はそれがもう恐ろしいというか、単純に生活成り立たなくなっちゃうじゃんっていう感覚でした。でもその感覚を味わう回数を重ねて行くと、だんだんと何とかなるかなという感じになってきて、その都度その都度どうやって乗り越えればいいかっていうとこに頭が向くようになってきました。 結局よく言われるんですけど、命まで取られることってないので。ただ会社を維持継続していくためには、相手に、ここは何とか協力して欲しい、協力してもらわなければいけないっていうところをどれだけきちんと伝えるかっていうところが大事だと思っています。 金融機関だけとは限らないんだけど、何をやるにしてもどこまで粘れるかみたいなところがあって、例えば、お客さんとも、どこまで粘り強く交渉するかが鍵になってくるところがありますね。   ―――そうなんですね、では高窪社長の強みは粘り強さであると思いますか。 高窪社長:どっちかっていうと、粘り強さは、後天的なものですかね。そうせざるを得なかったのかな。どっちかっていうと本来僕は楽観的な人間なんで、何とかなるかというのが根っこに常にあります。自分でいうのもあれですけど、喋りはまあまあ上手い方だと自負しているところがあります。伝えたいことを伝えるっていうことに関しては、相手に誤解を与えずに、こっちの伝えたいことはちゃんと伝えられるかなっていうのは、強みだと思っています。 この強みが活かされる時って、大抵がトラブル対応の話なんですけど。例えば、お客さんからのクレームは大小様々あるものなんですけど、かつて大クレームが1回発生しまして、それで何千万円賠償しろ、みたいな話になったことがあったんです。それを払ってたらうちの会社も潰れちゃう、というようなことがありまして、それになんとか対抗しなくちゃいけない。それは本当にもう真剣に何日も考えました。どういう理論展開でいけばいいのか。うちの落ち度っていうのは限定的だと、ないとは言わないけど限定的だと。だからそれを100%うちのせいにされて全部補償っていうのは、そもそも論として間違ってるっていうことを伝えなきゃいけなかった。そのための理論武装をしてネタを揃えてどういうふうに誰に話をするかを考えてっていうことで、最終的には当初言われてたものの5分の1ぐらいになったのかな。ということで何とか耐えられる範囲で済んだっていうようなことはありましたね。 会社や社長さんによって違うと思うんですけど、うちの場合僕のところに報告が来るのはトラブルが起こってからなんですよ。本来は未然に防げるものは防ぎたいんだけど、大抵トラブルって起こってから報告が来ますよね。なんでこんなことになっちゃったの?っていう話がくるので、そこからどうやってリカバーするかっていうのは、もう非常に苦労していて、今でもしてます。(苦笑) ―――色々ご苦労がある中で、社長独自のリフレッシュ方法って何かあるんですか。 高窪社長:リフレッシュを特別意識してやっている訳では無いですが、サッカー観戦が好きです。地元の浦和レッズファンなんです。シーズン中はスタジアムに試合を見に行って、応援しながら楽しんでいるとストレス発散できますね。あと、学生の頃、吹奏楽をやっていまして、そのOBバンドに参加しています。OBだから、おじさんおばさんが集まって、合奏をやっています(笑) 合奏だから必ず人が集まるし、その後に必ず飲み会があることがいいですね。会社と全く関係ない人たちとの交流はリフレッシュできます。 ―――今後、会社をどう発展させていきたいと考えていますか。 高窪社長:ずっととにかく維持第一でやってきたので、あんまり発展という方向に気持ちが向かなかったんですけど、自分は技術者ではないですが、やっぱり世の中って技術がないと進まないなと思っています。なので、実際に現場で、ものづくりをする機会をもっと増やしていきたいなと思います。今はファブレスと言って、設計だけやって実際に物を作るのは海外の工場に頼んだりっていう会社が多いのですが、うちの会社の強みは工場を持って自分たちでものづくりをしていることだと思っています。確かにコストや効率などを考えると、固定費も増えるし、経営手法として決して褒められた方法ではないかもしれません。でも、「もの」を自分たちが作ることで、お客様から見える形で信頼してもらえると思っています。お客様が会社に来ると、こんなふうに「もの」を作ってるんだね、こういう人たちがこんなふうに作業してるんだね、というのが見えるので、その環境が信頼を得やすいと思っているんです。 特にコロナをきっかけに、リモート中心でリアルに会わなくても何でもできちゃう、みたいになってるじゃないですか。そういう時代だからこそ逆に、「やっぱり人間の手でものを作っている」ということは、もうそれだけでも価値があることだと思っています。 その価値を認めてもらい、かつ、現場作業は絶対無くならないので、現場の作業というものを、ちゃんと自分たちがやっていることを、評価してもらいたいと思っています。雇用自体もこれから継続的に維持できるといいなと。だから今まで以上に自分たちの手で作っていることをアピールしていきたいし、さらにそこからそれを作っている場所である、現場での作業の機会をこれからもっと増やしていきたいと考えています。   ―――他の会社にはない取り組みや会社独自の取り組みがあれば教えてください。 高窪社長:あんまりそういうノウハウがなく社長になったんですよ(笑) なので本から学んだりセミナー行ったり、あるいは先輩の経営者と話したりして、これだなって思うことは、結構取り入れてやっています。それともちろん社員からの意見も聞くようにしていて、だからそういう意味で何でも真似して、取り入れてみるみたいなところはあります。 例えば、一時間単位での有給取得を可能にしたことがあります。 うちの会社は製造業なのでタイムカードで時間管理をしているんですが、以前は最小でも半日単位でしか有給を取れなかったんですよ。ところがある社員から「一時間単位で取れないか」という要望がありまして。理由を詳しく聞くと、病院の先生の都合でどうしてもある曜日のこの時間にしか診察してもらえないというんです。会社を30分早く出れば何とか通院できるんだけど、30分早く帰るために、現状の制度だと半日休み出さなきゃいけないし、それだと有給がすぐ無くなっちゃうと。そこで検討した結果、一時間単位での有給取得が可能になるよう制度を変更しました。それが非常に好評で、うちは社員の平均年齢が高めなので、親の介護の問題を抱える社員もいまして、例えば親御さんをちょっと施設に預けてから来たりして、みんなの予定がフレキシブルに立てられるようになったことで、社員が喜んでくれています。会社としてもそういう意味で意外とそれがアピールポイントになったりしています。 社員の方からこういうことできませんかっていうリクエストがあれば、どんどん検討していきたいし、僕の方もこういうのやってみようよっていうのは、社員みんなに投げかけてやってるところがありますね。 付加価値をいろんな場面で高めていかないといけない ―――ちょっと話が大きくなりますが、日本の製造業が発展していく上で、必要なことや何かお考えがあれば教えていただけますか。 高窪社長:すごい大きな話からすると、日本が今のままで国として競争力を取り戻して、GDPでアメリカ、中国を覆すってことは残念ながらもう難しいと思うんです。今の円安もそうなんだけど、このままだと本当に没落国家になってしまう。確かに観光だのインバウンドとかあるんだけど、それって何が評価されてるかっていうと、日本の景色とかホスピタリティが安く楽しめるからですよね。最近ようやくそれが話題になってきましたけど、食事をして、5ドル掛からないみたいな。   ―――確かに、東南アジアと同じような価格帯で食事ができますよね 高窪社長:そう、例えばアメリカなんか行くと今お昼食べようと思ったら20ドル以上かかるわけですよ。日本はそうやってどんどん、安い国になっていってしまっている。そこからもう一度復活しようと思うと、やっぱり付加価値をいろんな場面で高めていかないといけないと思うんです。ただ、サービスの付加価値ってこれ以上増やすのは大変で、じゃあ何ですか、どうやって価値を高めればいいのって言ったときには、やっぱり「ものづくり」だと思うんです。あるいはそれをプロデュースするとか、とにかく今の価値水準を「もの」で上げて行かなきゃいけないと思うんですよ。それを支えるためにも、一般のいわゆる事業従事者の人たちがどのぐらいレベルが上げられるか重要だと考えています。   ―――この記事の読者の方に向けて、メッセージありますか。 高窪社長:大切にしている言葉は、好奇心と向上心。この二つです。やっぱり面白がらないと伸びないと思うんですね。目の前で起こってることが、これは何、どうやって作ってるんだろう、とかね。あるいは、このお客さんってどういうお客さんだろうなんだろうとか、そういう好奇心がないといろんなことを身につけられないと思うんですよね。あとは向上心というか、自分が持ってるスキルでも何でもいいんですけど、やっぱりちょっとでも良くしようと思ってないと、すぐ陳腐化しちゃう、というかおいてかれちゃうと思うんです。だから、自分の持ってる情報でも何でもアップデートするっていうことは必要かなと。なのでそれはもう新人に対してってことじゃないんですけども、いわゆる社会人みんなに送りたい言葉です。 株式会社富士オートメーションについて  株式会社富士オートメーションは、  お客様から「こんなモノをつくってほしい」「アイディアを製品化したい」といった相談に応じて、PC周辺機器・端末機など仕様検討から設計、ソフトウェアの開発、製造、試験、完成品まで一気通貫で行います。業務系アプリケーション、業務系以外の通信・表示機器設計のほか、PLCプログラミングにも豊富な技術と知識を備えており、BtoB開発パートナーとして様々なニーズに応えるモノづくりをトータルで提案しています。  エレクトロニクス分野における「設計、製造、試験」のあらゆる場面でお役に立てる、真の「エンジニアリング・サポート・カンパニー」を目指しています。 会社名:株式会社富士オートメーション 所在地:埼玉県 代表者:代表取締役 高窪 裕治 URL:https://fujiautomation.jp/

『何事も挫折、失敗があって初めて成功に繋がる』日越で活躍するイイダモールド

『何事も挫折、失敗があって初めて成功に繋がる』日越で活躍するイイダモールド 聞き手:編集部・笹山梨紗 話し手: 株式会社イイダモールド 代表取締役 飯田秀夫様 金型未経験から技術者の道へ。27歳で独立。 ―――本日はよろしくお願いします。はじめに、株式会社イイダモールド設立までのご経歴について教えてください。 はじめに、射出成形加工を主とする会社に入社し、内製の金型部門に配属されました。金型に関しては未経験でしたので、独学で一から学びました。2年後には金型設計も担当させてもらえるようになり、短期間で金型設計技術を習得できたことに自信を持っておりました。しかし、そんな時、ふと子供のプラスチック製のおもちゃを見て、その作り方が私には分からなかったんです。一種の挫折でしたね。それから、一人前の設計師になるために当時勤めていた会社を退社し、大きな金型を扱う会社に転職しました。同じ金型製造のメーカーでも、扱う金型が違うというだけで、まるで異業種であるかのように今までとは異なる経験ができましたし、その分学びも多かったです。その後、設計を始めて6年、27歳の時に独立し、株式会社イイダモールドを設立することに決めました。 ―――どのようにして顧客を増やしていかれたのですか? 私が図面をお客様にお届けした際に、「仕事が手一杯で社内での加工が不可能だ」と言われたので、知り合いの金型製造会社に図面を持参し、作ってもらったことがあったんです。それから、設計事務所でありながら金型製造も請け負うようになりました。当時は、受発注を行うような金型設計事務所が他にありませんでした。また、金型は大・中・小と様々ありますが、一度設備してしまうとそれに見合った大きさの金型しか製作出来ません。つまり、大きな設備を入れたら、小さい製品が作れるかというとそうではなく、大きい製品しか作れないんですね。その点当社では、お客様のニーズに合った設備を持つ会社とタイアップするだけで製造が可能になりますので、イイダモールドならどんな金型でも手配できるという認識がお客様に根付いていったんです。 コスト競争に勝つためにベトナム進出を決意 ―――貴社といえばベトナムにも拠点をお持ちですが、どのようにベトナム進出を進めていかれたのですか。 まず、「金型を製造していく上で、コスト競争からは逃れられない」と、日本より生産コストが低いベトナムへの進出を決めました。そこで海外人材採用を検討し、応募をかけたところ6名が集まり、早速現地の面接会に参加しました。その中から、1名選出して日本に呼び寄せ、3年半教育し、現地に戻して駐在員事務所を設立しました。そのベトナム人社員を中心に、現地でさらに人材を集め、さらに日本側にもベトナム人を在籍させることで現地と日本とで連携を取る仕組みを作りました。 ―――ここからはベトナムの人材育成について質問させてください。設計業務を3年半で習得させるために、どのような教育をされたのでしょうか。 設計の仕事をすべて完璧にできるようになったわけではありません。設計業務の中でもポイントを絞って、まずは日本で重要部分を中心に教育し、その後現地に戻った後も仕事を通して教育を続けていました。 ―――教育をする上で大変なことはありましたか。また、異文化による衝突はなかったのでしょうか。 そうですね。当時採用したベトナム人社員の子は、言われたことが分かっていなくても「はい、分かりました。」と答えちゃうんですよね。結果、後々仕事が進んでいくと認識の齟齬が生じていたり、意思疎通がうまく取れなかったりと、大変なことはありました。相手も話したいことはあるけど上手く伝えられず、分かったふりをしてしまう様子でした。最終的には言いたいことをベトナム語で文章化させて、それを、翻訳ソフトを使って私が理解するというようなことを繰り返していましたね。異文化による衝突についてですが、それはあまりなかったんです。採用した子が明るい性格でしたし、仕事も一生懸命取り組んでいて、社員みんなが可愛がっていました。 ―――それでは、ベトナム現地に拠点を作る上で大変だったことは何ですか。 事務所を立ち上げたものの、人材定着はなかなか上手くいきませんでした。最初のころは所長が何人も交代してしまいましたね。社員をまとめ上げることができずに辞めてしまったり、まとめ上げる方法が強すぎて社員がストライキを起こしてしまったり、人材定着の壁にぶつかり、順調には進みませんでした。また、チームをまとめ上げられる所長が見つかって、社員も増え、やっと軌道に乗ったかと思いきや、今度は社員がどんどん辞めていってしまうということがありました。何故かというと、日系の設計事務所での経験を持っていると箔が付くんです。自分を高く評価してもらうために、日系の設計事務所を経験してから転職すると、給与が平均よりも高くなるためです。 社員が次々と辞めていく状況の中、この流れを食い止める方法をベトナム人所長と相談したところ、ずっと同じ仕事をさせることが良くないのではないかという結論に至りました。そこで、自分が設計したものがどのように製品になるのか、一連の流れに携わらせ、モノづくりの醍醐味を味わえると良いのではないかと考え、ライセンスを追加し、金型製造を始めることにしました。 ―――そうは言ってもベトナムで日本品質の高水準な金型づくりを進めるのはとても大変そうですね。 おっしゃる通りです。ベトナムで日本向けの製品を作ることはとても大変でした。国民性が違う中で、日本文化、さらに日本の品質レベルを理解してもらうために、現地のベトナム人社長と何回も口論になりました。その他にも、ベトナム人社長には会社を経営してもらわなければなりません。ただ、当時の社長には、物事の損得を考える観点が欠けていました。その後、経営経験者という条件をつけて新たな日本人社長を雇い、各々の得意とする分野で業務分担し、二人体制で会社を回してもらおうと思ったんです。ですが、新しい日本人社長が来たことで、社員たちが元々居たベトナム人社長を認めてくれなくなってしまいました。私は彼に辞めて欲しくなかったので説得を試みましたが、結局彼は会社を辞めて独立することになりました。 とにかく海外に拠点を立ち上げるのは大変なことばかりでした。でも私は、社長である自分が最も努力しなければならないと思っています。現地に行った時、社員が帰っていく中で最後まで残って会社のシャッターを閉めるのは私でした。社員に社長の頑張りを見せる必要があったんです。そんな中で、飲み会をすると「社長は本当に仕事が好きだね。」と言う社員と、「社長が一番遅くまで頑張ってくれているのを知っている。私たちも頑張ります。」と言う社員に分かれるのですが、必ず後者の人の方が数年後にキーマンになっているんです。企業のトップは誰よりも重い責任を持ち、誰よりもリスクを背負って、誰よりも頑張らなければならないですし、それを社員に行動で示すべきだと私は考えています。 何事も挫折、失敗があって初めて成功に繋がる ―――社長が今まで、そして現在も、ここまで頑張ることができる根底には何があるのでしょうか。 そもそも、私はモノを作ることや考えることが大好きなんです。それに、他の人ができなかったことや、難しいと言われていることを聞くと燃えるんですよね。技術とはその習得に何年も期間を要しますが、精神は数秒で強くなれます。例えば、サッカーを上手くなるためには何年も練習しないと、プロになれないと思いますが、「自分は絶対プロになるんだ。誰よりも辛い練習に耐えてみせるんだ。」というような精神や、前向きな根性を持つことに時間はかからないですよね。そういった気持ちを持つか、持たないか、ですので。挫折無くして成長できる人間なんて居ません。絶対に挫折や失敗を繰り返した人間じゃないと成功はできないのです。もし、自分が座っていて手が届かなければ立てば良い、立っても届かないのであれば背伸びをする。背伸びをしても届かなければジャンプすれば良いんです。ジャンプする時には、一回縮んで、沈んでから大きくジャンプする。どこかで挑戦することを諦めてしまったら、そこで全て終わりになってしまいます。何事も挫折、失敗があって初めて成功に繋がるのです。 ―――5年後、10年後を見据えたときに、何か目標はありますか。 実は、私は55歳で引退しようと思っていたんです。時代が変わるにつれて、社長も交代すべきだと。そして今53歳になりましたが、結局まだ辞められそうにないんですよね。と言うのも、息子は今Jリーガーなのですが、あと数年して現役引退したら会社を継ぐと言ってくれているんです。今後、息子が会社を継いでくれたとして5年後くらいに、彼がどのように会社を運営しているのかを見ることが、今の私の楽しみです。私は昔も今も精神論・根性論で仕事をやってきた人間ですが、息子へと世代交代するに当たって、そのような経営のやり方から脱却したいと考えています。次世代の金型産業の在り方を考え、国内で金型製造も成型も完結できるようにしたい。そして、目の前の仕事に追われるのではなく、先々の仕事まで管理できるようにする。そうして息子が入社した際には、しっかりとした絆で繋がっているお客様を持ちながら、安定した経営ができるように準備しておきたいと考えています。 株式会社イイダモールドについて 株式会社イイダモールドは技術力の向上に努力し理想を実現するという意思を表した経営理念『カタチある夢創り』をモットーに弊社は1995年に金型設計事務所として創業致しました。 2017年からはベトナム工場に射出成型機を導入し、商品企画から始まり試作品の製作、金型設計、金型製作、成形加工と一環生産体制が整いモノづくりのトータルエンジニアとして新たな事業展開をする運びになりました。 今後もお客様から信頼されるパートナーとして、進展していきたいと思います。  会社名:株式会社イイダモールド 所在地:茨城県筑西市下野殿1028-2 代表者:代表取締役 飯田 秀夫様 URL:http://iidamold.com/

角野バストアップ

『失敗することを恐れない』 社員一丸となって取り組む町工場の新しい挑戦

聞き手:編集部・松本話し手:日本ツクリダス株式会社 代表取締役社長 角野嘉一様                経営戦略部 広報 神岡真由子様 大阪府の日本ツクリダス株式会社様は「町工場のイメージを変えていきたい!」と、従来の町工場の集客方法や勤務環境の改善等、新しいチャレンジに積極的に取り組んでいます。その決断に至るまでの経緯と、取り組みの内容を詳しくお伺いしました! 目次 今までよりも広い視野の中で顧客を広げるために起業した社内の団結力を上げるためのシンボル「ファイブスターファクトリー」仕事を楽しめる環境づくりと、新しいチャレンジ日本ツクリダス株式会社について今までよりも広い視野の中で顧客を広げるために起業した ―――本日はよろしくお願いします。はじめに、角野社長が起業されるまでの経緯について教えてください。 角野社長:大学卒業後、中古車の買取り会社にて査定士をしておりました。5ヶ月程働くうちに成績も社内トップに上がっていくにつれて、会社の方向性に違和感を抱くこともあり、半年程で退職してしまいました。次に、大学時代に関わりがあったスノーボード会社と縁あってアルバイトを始め、そこで旅行事業部の立ち上げに参画させていただき、会社ホームページを立ち上げるなどして3年働きました。その後、父の会社に入社し10年間、製造業に携わることになりました。元々は1社のみの下請けだったのですが、会社ホームページを立ち上げ、集客を行い、取引先を100社まで増やすことができました。そして、その100社のお客様をそのまま引き継ぐ形で、私が独立して今の会社でも引き続きお取引させて頂いております。   ―――起業された理由は何ですか。 角野社長:二つ理由があります。一つ目は、ネット集客がきっかけで全国津々浦々から依頼が来るようになり、出荷作業や検査作業が増えたことで、職人にものづくり以外の仕事を依頼せざるを得ない状況になってしまったんです。これではいけないと、製造会社と販売会社を分けた結果、日本ツクリダス株式会社が販売会社として独立しました。二つ目としては色々やりたかったというのが本音です。単純に注文を受け、モノを作って、納品するだけの仕事から脱却したかったですし、父から言われた仕事をするだけではなく、自分自身で挑戦したいと思っていました。この考えに至った要因としては、スノーボード会社での経験が大きかったと思います。スノーボード会社では顧客が数十万人居たんです。その集客力と多くの顧客を抱えていることの可能性の大きさやその強さを感じました。目の前の一人ひとりのお客様に誠心誠意対応するのももちろん大切ですが、広い視野で見て、顧客層を広げることもこれからの時代には必要なことだと思いました。   ―――そうなんですね。そういった新しい挑戦の中で、ソフトウェア事業部など事業の幅も広げられたのでしょうか。 角野社長:そうですね。一般的な町工場では顧客数は数社で一般的なのですが、我が社は500社もの顧客を抱えています。そうなると、顧客の納期管理や外注先管理といった管理体制を整える必要が出てきました。そこで、こういった管理というのはどの会社も必要としているでしょうし、これもサービスとして提供してみようと考えたのがきっかけです。   ―――ネット集客を重要視されている理由をもう少し詳しく教えていただけますか。 角野社長:一つはリスクヘッジです。特定少数の顧客だけではなく多数の顧客を持っておくという観点です。もう一つは単純に成長のためです。我が社で言うと元々顧客数100社からスタートして、現在では500社を超えており、当然その分の成長があります。ネット集客以外の方法で、これだけ顧客数を増やすことは恐らく難しいと思います。またネット集客は、お客様からの依頼があって、それに対してこちら側が解決策を提示させて頂く形になるので、飛び込み営業などとは違って、お客様と対等に商売をすることが可能です。ネット集客にはこういった利点が多くあります。過去の製造業では集客をしてこなかったと思いますが、やはり現代ではネットを駆使することは重要ですし、それをハードルのように高難易度な事として捉えるのではなく、自分たちもそれができる時代なんだともっと楽観的に考えるべきだと思います。 社内の団結力を上げるためのシンボル「ファイブスターファクトリー」 ―――それでは、次に「ファイブスターファクトリー」について概要を教えていただけますか。 角野社長:「ファイブスターファクトリー」というのは社内のシンボルです。社外向けというよりかは、社内向けとして、我が社がどういう会社なのかというのを全社員が理解し、社員個々が自ら動く指針となっています。このシンボルができたことによって、社内の団結力の向上や会社の理解度促進などといったインナーブランディングを進めることができました。「ファイブスターファクトリー」ができたきっかけというのは、たまたま私がこの星のマークとこの名前を思い付いて、この星に5つの意味を持たせようと考えたんです。その星が持つ5つのキーワードとその行動指針や意味を社員でディスカッションしてもらって決めてもらいました。一般的には逆ですよね。社内の課題があって、それをどのように解決するかを話し合い、その結果ビジョンや行動指針などに反映させていく。私たちはそれとは違う形を取りました。始めにモノがあって、そこに社員みんなで考えた意味を加えていったのですが、これが意外と楽しくできましたし、自分たちで考えたものだけあって浸透も促進されたと思います。また、その他にも求人に特に効果がありました。おかげさまで、今はそれ程人集めに苦労はしていません。   ―――素晴らしいですね。それでは、引っ越しをしてまで御社に転職されたという、神岡様の動機は何だったのでしょうか。 神岡様: 元々は制作会社で働いていたのですが、色々な会社のキャッチコピーを作るよりも、一つの会社を好きになってもらうためのブランディングをしたいと思い転職活動をしておりました。そんな中で、日本ツクリダス株式会社に目が留まったのです。良い意味で町工場なのに町工場らしくなく、新しい取り組みにもチャレンジしている姿がとても印象的でした。その盛り上げるための活動を一緒にしていきたいと考えましたし、またこういった活動を発信もしていきたいと考えて、こちらに就職致しました。 仕事を楽しめる環境づくりと、新しいチャレンジ ―――SDGsを前面に打ち出されていますが、力を入れている分野は何でしょうか。 角野社長:8番の「働きがいも経済成長も」です。あとは職場環境の改善も含みます。生き生きと働ける環境や組織を創り、それを発信することで真似をしてほしいと思います。真似をしてくれる会社が増えれば増える程、楽しく働ける人が増えるだろうと考えています。   ―――それでは、SDGsにおいて、他の製造業の経営者の方たちがすぐ真似できる御社の取り組みがあれば教えていただけますでしょうか。 角野社長:そうですね・・・観葉植物ですかね。あとはスポットライトを設置するとか。観葉植物は置くだけで職場環境がリラックスしている雰囲気になりますし、スポットライトの電球色をオフィスの白い電灯の中に入れるとガラッとオフィスの印象が変わります。すごく単純かも知れませんが、働く場所の雰囲気や見た目などの環境づくりは働く人のモチベーションに繋がると思います。あと、仕事場を綺麗に保つことも大切に思っています。仕事場が綺麗だと仕事がしやすいですし、効率良く仕事できますよね。私たちは会社をショールームとして捉え、常にお客様に見られても恥ずかしくない環境として綺麗に保つことを心がけています。   ―――経営をする上で大切にしていることは何でしょうか。 角野社長:楽しいかどうかです。楽しく働いている人間にお客様は付いてきてくれます。働いている環境も和やかというか、気の張らない空気感でいます。会議も和やかで、意見が言いやすいですし、それ故に社員皆が仕事を自分ごととして捉えられますし、結果的に楽しいに繋がります。「楽しくする」という観点で言うと、朝礼でじゃんけんするんです。負けた人はゴミ捨てをするということくらいしか無いんですが、なんだか盛り上がりますね。   ―――では最後に、日本の製造業のますますの発展のために必要なことは何だと思われますか。 角野社長:まず、製造業に限らず言うと、仕事を楽しめる環境づくりを提供することだと思います。製造業に関しては、チャレンジできる環境づくりが必要です。新しいことに挑戦をして、失敗したとしても怒るのではなく、その行動を褒める。そうすることで会社のレベルアップが図れると思います。例えば中国では、失敗するかもしれないけども、難しい仕事にどんどんチャレンジしていきますが、一方で日本の製造業は今までにないことが起こることを恐れてチャレンジしない、その結果、仕事がどんどん海外に流れて行ってしまう状況に陥ります。失敗を恐れず、どんどん新しいことにチャレンジをしていくことが重要だと思いますね。 日本ツクリダス株式会社について 日本ツクリダスは金属加工の鉄工所でありながら「ものづくりサービス企業」として、「金属加工」「生産管理システム」「デザイン制作」「オリジナルプロダクト(自社製品)」「コンサルティング」の5つのサービスを提供しています。 自社のものづくりを通じて製造業、とりわけ町工場に特化した販促強化、管理の円滑化をトータルでサポートするサービスを展開して、製造業を盛り上げることを目的に事業を行っています。 日々新しいビジネスやサービスをつくり、「こんな会社ありえへん!」と驚きと親しみを提供できる会社であり続けることを目指しています。   会社名:日本ツクリダス株式会社所在地:大阪府代表者:代表取締役 角野 嘉一URL:https://www.netkojo.jp/

「どんなこともまずはやってみる!」チャレンジし続けるキリシマ精工

「どんなこともまずはやってみる!」チャレンジし続けるキリシマ精工 聞き手:編集部・笹山梨紗 話し手:キリシマ精工株式会社 代表取締役 西重保様 鹿児島県内外で数々の受賞歴のあるキリシマ精工。「資金難で機械が購入できなくても、今ある機械を使って作ってみよう!」と3軸マシニングセンタで5軸と同等以上の超複雑形状の加工を実現する『カーブカット工法』を開発。今では医療分野にも参入し、成長し続けるキリシマ精工の魅力の源についておうかがいしました。 昔から大切にしてきた「ご縁」が今に繋がっている ―――本日はよろしくお願いします。はじめに、創業までの経緯、創業のきっかけをお聞かせください。 まず私が今の会社を始める前のことになりますが、当時は通信部品製造に携わり、大手企業様からのご依頼のもと部品を製造し、各企業様に納品する重要な加工業務を行っておりました。平成二年、私が35歳の時に以前勤めていた会社に入社しました。業績も良く、商売も繁盛し、生産量で言うと鹿児島県内では一番多かったんじゃないかと思います。しかし、バブル崩壊の影響は大きく、会社は倒産し、当時の社員も県内に散ってしまいました。そんな中、当時の外注先の社長様から、起業の依頼がありました。私にとって、その責任は大変大きいものに感じられましたが、ご縁でもありますので、まず入社前に鹿児島に工場を作ってもらうようにお願いをした後、入社することになりました。不景気ではあったものの私が新しく会社を立ち上げたという噂を聞きつけた、以前の会社でお付き合いをさせて頂いていた企業様からご連絡をいただき、新しい取引が徐々に成立し始めました。そこから会社が安定し、以前の会社の仲間が再度共に働いてくれることとなり、今では業績も右肩上がりで順調に進められています。『昔から大事にしてきたご縁』が今こうやって結ばれた形になりましたね。 ―――以前の会社の従業員の方を再雇用する形で起業されたということですが、創業時の想いを教えてください。 当時、起業する際は大変でしたし、決して余裕があったわけではありません。しかし、昔、同じ釜の飯を食った仲間同士なので「どうにかなるだろう」と特に深く考えずに一人二人と増やしていきました。彼らも、それに応えてくれました。やはり企業は『人』が命。『人』を大事にするからこそ、その人たちがいつか恩を返してくれるんだと思います。 怖がらずに何事も挑戦することが大事 ―――業務遂行の中で社員同士意見が食い違うこともあると思います。そういったときはどのように纏めていらっしゃいますか。 そうですね。私はそういった意見の食い違いがあって良いと考えています。皆で意見を出し合い、ひとつずつ挑戦し、失敗すれば見直しをするといったPDCAのサイクルに沿って計画を立て、実行するようにしています。結果を見れば、皆も納得できる部分がありますし、失敗から学びを得ていました。 ―――社員の方への指導において心がけていることはありますか。 弊社では、新人教育は勿論行いますが、何事にもとりあえず積極的に前向きにトライをしなさいと伝えています。やってみて、失敗して、その失敗の原因を追究する。そうでなければ、同じ問題が発生してしまいますし、その度にお客様に迷惑をかけてしまいます。『怖がらずに何事も挑戦することが大事』だと考えています。 また、違うと思ったことに対しては、違うとはっきり言います。会社の方向性は社員皆に提示しておりますので、それに沿った形で行動してくれていると思います。中には、挑戦することなく諦めかける社員もおりますが、そこは諫めつつ、開発の手助けをします。作業を難しくしている要因を発見すれば、お客様に相談をしながらコミュニケーションをはかり、チームで助け合いながら改良点を見つけ、取り組めるように物事を進めています。 ―――その他に人材育成において大切にしていることはありますか。 コロナ禍の今では難しいことですが、新入社員の歓迎会のように仕事以外での和気あいあいとしたコミュニケーションを大切にしています。以前の会社でも社員をまとめる際には、一週間に一日だけノー残業デーを設け、社員で様々な遊びを行っていました。やはり、話をしなければお互いの気持ちは分からないので、そういったコミュニケーションを大切にしています。 削りを極めた技術「カーブカット工法」で医療分野へも参入 ―――それでは、御社独自の技術である「カーブカット工法」を開発するに至ったきっかけを教えてください。 何かを製品化するにあたり、それには多くの工程が必要になります。本来は、各工程で機械が必要となりますが、我々には対応し得る資金力がありませんでしたので、どうにかして材料から部品の一発加工ができる方法はないかと考えた末、あみ出した技術が『カーブカット工法』です。 また展示会に参加することもあり、そこで受けたお客様からのご相談には「必ず応える」という気持ちでおりますので、出来ないことはどうすれば出来るのかを考え、『まずはチャレンジする!』というスタンスでおります。 技術開発までの経緯としましては、はじめ、歯列矯正器具の分野で歯の内側に取り付ける器具開発の依頼を受け、先生と打ち合わせを始めてから5年目である程度形になってきました。また、海外でも販売できるような矯正器具開発を検討しはじめ、そちらもやっと完成に至りました。 ―――技術開発までにどのような困難があり、どのように乗り越えてこられたのでしょうか。 まずは、仲間と話し合い、加工の仕方について意見を出し合いました。その中のひとつの意見を取り上げて、まずは挑戦しようと開発に取り組んだ結果、成功に繋がりました。多少修正点はありましたが、順調にうまくいきました。私たち開発員というのは、まずは機械を動かし、形にする。そしてまた意見を出し合い、その都度、修正を加えながら完成に近づけていっています。 ―――「カーブカット工法」を開発したことによる良い変化はありますか。 お陰様で、地元の新聞に掲載していただいたり、鹿児島県から様々な賞をいただいたり、他にも医療関連の企業様から注文をいただいたりと良い変化がありました。ご依頼内容に関しては、難しい注文ではあるのですが自分で作りながらも「すごいな」と感動することもあります。難しい注文内容に対して出来ないと諦めるのではなく、どうすれば出来るのかを考えながら作業しており、チャレンジする機会をいただけて嬉しく思っております。 生き残るには「チャレンジ精神」と「先見の明」が必要 ―――次からは経営についてお話をお伺いしたいと思います。経営において大切にしている考え方は何ですか。 弊社に入社する方は中途での採用が多かったのですが、その際には、「以前の会社で働いていた時以上に幸せになってやる、その時以上に稼いでやる!という気持ちで来て欲しい」とお話ししています。今も、弊社では「10年後のキリシマ精工、10年後の自分」というテーマで社員に発表をしてもらうことがあります。そこでは皆、「10年後こうありたい、給料についても倍に増やしたい」などと自分の気持ちを表現していますし、会社に関しても、この厳しい世の中でどう生き残るか、技術力や品質向上についてどうすれば良いかなど会社の未来を考えてくれるようになりました。 ―――それでは、今の製造業界での課題は何だとお考えですか。 日本の製造業でしか出来なかった技術が、他国でも出来るようになっていることですね。それに加え、コストも半分ですんでいる。コスト面で言うと人件費や光熱費にしても、他国とは金額ベースが異なるため、同じ土俵で戦うのは難しいとは思います。あとは、自動化や効率化がどこまで進められるかが争点になると思いますが、私たち中小企業ではそれに必要な資金力も乏しく、対応に関しても少量多品種の会社だと尚更難しい部分もあります。できる限り、国内での生産消費を行っていきたいという気持ちはありますが、海外にも目を向け、世界で生き残るための考え方にシフトしないといけないとも思います。 ―――今後の製造業界において生き残っていくために必要なことは何でしょうか。 いち早く情報を得て、様々なことに『チャレンジ』していくこと、今後どういうものが流行るのか『先見の明』を持つことが必要だと思います。 また、行政とのお付き合いも重要だと思います。行政とのお付き合いの中で、様々なご依頼案件などお話をいただくことがあります。中小企業は資金力が十分ではないと思いますが、行政とのお付き合いの中で、助成金が受け取れたり、他県から注文のご連絡やご紹介をいただいたりすることもあります。私が行政とのお付き合いを始めたきっかけとしては、会社を始めた時に、ある方から「県に相談した方が良い」とアドバイスをいただいたことでした。そのアドバイスをきっかけに、行政の方も巻き込みながら会社一丸となって開発を進められるようになりました。また、会社の知名度を上げ自社アピールするためには賞を狙うことが有効ではないかと考えました。まずは自分の会社を知ってもらうことが大切だと考え、様々な機会に積極的にアプローチし知名度向上に努めてまいりました。 ―――西重様自身は10年後をどのように思い描いておられますか。 『チャレンジ精神』をモットーに新しい分野にどんどん挑戦していきたいです。半導体医療関連は売上げ的には低いですが今後、より盛り上げていきたいと考えていますし、他にもあらゆる分野において問題を抱えた企業様が難しい案件でありながら品質的に安心できる会社はどこかと考えたときに、私たちの会社の名前が浮かぶような、そんな会社にしていきたいですね。私個人としては、「人生は楽しまなきゃ損」というポリシーがありますので、ソフトボールなどの運動もやりつつ、体が動くうちにやりたいことは全てやり、人生を全うしたいと考えています。 ―――今後はどういった企業様とお付き合いしていきたいですか。 共に成長できる会社様とお付き合いしていきたいですね。大企業だから、中小企業だからということは関係なく、本音で話をすることができて、お互いにコミュニケーションを取りながらお付き合いできる会社様が良いです。商売というのは相手のために尽くすということではないのかなと思います。お取引する会社様の為なら失敗も厭わず、挑戦したいと思います。それくらい、お互い信頼しあえる関係であることが大切と思います。 キリシマ精工株式会社について 霧島市は、薩摩半島、大隈半島の鹿児島県中央部に位置する市で、鹿児島県で2番目の人口規模を有する市であり又、鹿児島空港、九州自動車道その地理的好条件の交通手段が発達している為、ソニー様や京セラ様などのハイテク産業が発展、周辺地域の中核的役割を担ています。 その中で、私共キリシマ精工株式会社は、精密金属加工(光通信、半導体、その他)として難削材、微細加工を得意としており、これまで培ってきた技術で、経営革新計画の認定、又 メーカーの「工場認定」も頂き品質管理力を、活かし信頼、信用をテーマに掲げて、日々努力しております。 今後も今まで以上に、お客様の望まれる品質及び加工技術向上をモットーに、地域社会へ貢献出きるよう日夜努力してまいります。 会社名:キリシマ精工株式会社 所在地:鹿児島県霧島市国分川原918-7 代表者:代表取締役 西重 保 様 URL:https://kirishima-seiko.jp/

「逆境は常にあり」チャレンジャーである自分を支えてくれたもの

「逆境は常にあり」チャレンジャーである自分を支えてくれたもの 進化を続ける平野ビニール工業株式会社常に逆境に立ち向かってきた平野社長が、その過程で思い描いてきた「経営」とは 聞き手:編集部話し手:平野ビニール工業株式会社 代表取締役社長 平野利直様 20代で社長就任。誰もあなたのことを社長と思っていません ―― 20代で社長にご就任されてから、経営についてはどのように学ばれたのでしょうか?また、困難をどのように打破されてきましたか? 社長に就任した時、僕についてくれた先生がとにかく厳しかったんです。まず、「誰もあなたのことを社長だなんて思っていません。社長の肩書に胡坐をかかず、しっかり勉強して、社長に器にならなければいけません。」と言われました。そして、僕からの相談を聞いてはくれるのですが、最後には大体「あなたが悪い」の繰り返しでした。さらに、「経営者は自責で物事を考えないといけない。そして、因果を考えなさい。今起こっている現象は、過去のあなたの振る舞いや会社の成績によってもたらされたのだから、真摯に受け止めなさい。」とも言われ続けました。その方のおかげで、僕は道を外さなかったのだと思います。何度逃げようと思ったことか(笑) また、稲盛和夫さんの塾に通い、本を読み、そこで学んだことを貫いていこうという気持ちになりました。だから、当社の理念やDNAには、稲盛さんの考え方や言葉が入っています。 経営とは、目先の損得や自分のプライドにこだわっていると、正しい判断ができなくなります。『経営の軸はこうあるべきだ』という考えを得るまでに多くのことを勉強したことが、僕の糧となりました。経営は感情で行うのではなく、原理原則、あるべき姿、正しいか否か、そういった判断基準を持てるようになってから、会社もまとまるようになってきました。例えば、「社長の言葉がよく変わる」としても、時代の変化に合わせて変えているのか、ただの思いつきで変えているのか、社員はよく見ているんですよね。 他には、家族をないがしろにしないことを大切にしてきました。結局最終的には、家族が自分と一緒になって悩んでくれたり、泣いてくれたり、支えてくれるんですよね。その家族を大切にすることが大事なのだと思います。 逆境は常にあり、真摯に、誠実に乗り越えていく ―――それでは、事業拡大のために気を付けていることはありますか? 社長に就任した17年前は従業員約40人程度であったのが、今や3倍以上になっています。これまで何をしてきたかと言うと、常に困難に立ち向かっていました。逆境は常にあり、真摯に、誠実に乗り越えていく、そして、学びながら進化し続けることが大事だと思います。とにかく他社に先駆けて新しいことをするチャレンジャーでした。追い詰められることは多々ありましたが、その度に何ができるかを逃げずに考え続けました。その時、もし逃げ出していたら、今の自分はなかったと思います。 ひとつ、経営者が注意しないといけないのは、常に最善と最悪を想定することです。順風満帆ばかりではない世の中で、とにかく社員だけは路頭に迷わせないこと。それを、必ず念頭に置いておくべきです。経営者として無責任なことは絶対にしない、と常に心掛けることが大切だと思います。 平野ビニール工業株式会社について 平野ビニール工業株式会社は、繊維製品、帆布製品、車両用シート表皮の裁断縫製メーカーとして、ものづくりの頂点を目指し、日々の研鑽と堅実な成長を重ねております。日頃からお客様に喜んで頂ける仕事を第一優先とし、思いやりの心、誠実で素直な心を忘れずに、顧客満足を追求しています。 会社名:平野ビニール工業株式会社所在地:静岡県代表者:代表取締役社長 平野利直URL:https://hiravi.co.jp 人気記事

「留学生採用の次は海外から優秀な人材を直接採用」フクナガエンジニアリングの外国人材採用

「留学生採用の次は海外から優秀な人材を直接採用」フクナガエンジニアリングの外国人材採用 地球にやさしい環境ビジネスのたえまない追求を行なう、フクナガエンジニアリング。中小企業ながら積極的な外国人材採用を行いグローバルに展開しています。その実像をおうかがいしました。 聞き手:編集部 話し手:株式会社フクナガエンジニアリング 代表取締役社長 福永政弘様 ロシア出身の留学生からはじまった外国人材採用 ―― 外国人材採用をスタートした経緯を教えてください 日本人の採用が難しくなってきた際に、日本国内の留学生の採用からスタートしました。知り合い経由で大学にいる留学生の採用イベントなどに参加させていただき、大阪大学出身のロシア出身の留学生を採用したのがきっかけです。 それからは国内の留学生採用を積極的に行なっており、日本人採用よりも留学生採用が主流となりました。しかしながら、国内留学生のトップ人材の採用も競争が激しくなってきた為、海外拠点を設置し、海外から優秀な人材を直接採用できる流れを作っています。現在は、ベトナム、中国、スイス、エチオピアなどの社員が在籍しています。 ――外国人材を採用してから社内に変化はありましたか 最初に採用した大阪大学卒のロシア出身の社員に関しては、電話対応の業務からお願いしました。留学生でしたが、日本語理解の面でかなり苦労をしていました。また周りの社員からも反発がありました。 しかし、努力の甲斐があってお客様から彼女指名での注文が増えたことにより、最終的にチームも良い雰囲気になりました。おそらく日本語がわからない中で、一生懸命対応している姿を見て、お客様も周りの社員も次第に気持ちが変わっていったのだと思います。 当社は長年にわたり、海外市場を見据えた挑戦を独自に行なっております。大手から「海外進出を一緒にしないか」などお誘いいただく機会もなかったですし、自分自身海外での可能性を模索していました。現在ベトナムに進出していますが、そこでは現地の優秀な人財を登用し、現地のマネジメントを任せる体制を構築しています。 外国人材はすぐ辞めるは本当か ――外国人材の定着について不安はなかったのでしょうか 定着に関しては日本人も同様に辞めていくケースが多くありました。外国人だから定着しないという考え方ではなく、外国人も個人それぞれなので国籍ではなく、本人の本質そのものでみないといけません。 ただ、日本人よりも定着のマネジメントはやりやすいと考えています。例えば、給与だけではなく、彼らにやりがいや、日本文化の良さを伝えることで長期的に働いていただける関係性の構築ができます。 今後、日本でも外国人材の採用を行い続けますが、実は、日本語を話せない方の採用を積極的に行っております。採用後、どのように社内融和していくかは当社のチャレンジでもあります。そのようなチャレンジをし続けることで、採用の新しいやり方や社内でも新しい機会を創っていけると確信しております。 ――これから外国人材の採用を検討する企業へ一言お願いします 会社は社会的な意義をもって事業を営みます。海外の人財雇用は、社会的意義であり、優秀な人財の採用手段です。将来的な海外展開の道筋を見出し、社内融和や刺激を与える人財です。海外の方を雇用することに取り組む価値は十分にあります。 ただ、外国人社員を入れたからといって海外展開が進むわけではありません。外国人採用の目的さえ間違えなければ、きっと道は開けると思います。また、採用や定着に関しては試行錯誤です。やり方次第では会社を飛躍させる有力な方法だと思っています。 大手企業にはいろいろな選択肢やリソースがありますが、中小企業は工夫をしていかなければなりません。優秀な人財をいかに確保していけるか、グローバルな戦いに勝てる素地がまだあることを考えれば、(外国人材の採用は)今からでも遅くない選択肢だと思います。 株式会社フクナガエンジニアリングについて フクナガエンジニアリングは、地球にやさしい環境ビジネスのたえまない追求を行う企業。金属資源リサイクル事業で創業し、フレコンバッグや産業車両用ノーパンクタイヤの企画・輸入販売事業で成長してきた。また、主力製品の提案にとどまらず、顧客の現場で商品開発にも取り組み、課題を複合的に解決する。2014年からはベトナム・ハノイに100%出資で現地法人を設立し、現地日系企業の金属スクラップのリサイクル等でグローバル進出を果たす。従来から海外取引に興味を持ち、海外進出前から外国人留学生を積極的に採用している。 会社名:株式会社フクナガエンジニアリング 所在地:大阪府 代表者:代表取締役社長 福永政弘 URL:https://www.ecosoft.co.jp/ 人気記事

「未来への投資の覚悟」10年後を見据えた山本金属の挑戦

「未来への投資の覚悟」10年後を見据えた山本金属の挑戦 大阪で知る人ぞ知る急成長中の企業、株式会社山本金属製作所。10年前、何もないところから研究開発センターを開設。依頼、次々と革新的な経営手腕で成長を遂げてきたその秘密に迫ります。 聞き手:ものづくりの経営 石中達也 話し手:株式会社山本金属製作所 代表取締役 山本憲吾様 10年後のあるべき企業の姿を描ききる 石中達也(以下、石中):岡山で研究開発センターをお持ちで、日々技術開発を行なっていらっしゃるかと思いますが、10年前にスタートされた際には、何もないまままず設立されたと伺いました。貴社と言えば、2015年に販売された、切削加工・摩擦攪拌接合用の無線式工具ホルダ(MULTI INTELLIGENCE®︎)が有名で、異常検知や工作機械との連携動作が可能で、切削加工の高度化デバイスの提供を行っていらっしゃるかと思います。このMULTI INTELLIGENCE®︎も岡山から生まれたと伺っておりますが、10年前から今を想像されてスタートされたのでしょうか。 山本憲吾社長(以下、山本社長):10年前にはMULTI INTELLIGENCE®︎が生まれることも、現在の研究開発センターになることも想定していませんでした。今の会社の主軸となる商品や会社のブランディングの基礎が現在、結果として研究開発センターからできている事はありがたいです。 石中:ではなぜ10年前にそのような大きな投資や決断ができたのでしょうか。 山本社長:結果だけ見れば、過去の投資が今の利益率を支える会社の既存の商品開発に繋がっていますが、10年前の先が見えない状況でも「未来への投資の覚悟」を行い、未来を信じて勝負をする気持ちを持てたからだと思います。当社は、常に次の10年後を見据えての商品開発、営業体制、工場の最適化を行なってきました。具体的には、売上の7%を研究開発費にあてることを決めてきており、それが現在の研究開発に繋がっていると思います。 石中:売上の7%はすごいですね。売上研究開発費率はあのトヨタ自動車で7.09%ですよね。 経済産業省のデータでも、中小企業では売上研究開発費率が0~1%の企業が34.8%で最も多く、次いで1~2%の企業が19.5%、2~3%の企業が11.4%となり、3%未満の企業が7割弱を占めている。大企業では0~1%の企業が42.1%、1~2%の企業が17.9%、2~3%の企業が11.4%となり、3%未満の企業が7割強を占めています。 そこまで売上高研究開発費率を高めていける財務状態をどのように作られていますか。 無駄をそぎ落とし、利益と研究開発への投資を両立 山本社長:会社として常に研究開発費を確保することを意識して無駄な費用は生み出さない事はまず徹底しています。例えば、設備導入に関しても、既存品だけで判断するわけではなく、最終的な目的から考えて既存のモノを合わせて製造するなど設備導入の費用をいかに下げるのかを現場レベルで考えて出来る体制を整えています。 また減価償却も通常とは異なるやり方を行なっているかと思います。例えば、通常12年、もしくは7年、最短でも5年などで行っている機械設備の減価償却ですが、当社では早ければ1年、2年で減価償却しています。これは不景気がいつ来るかわからないので、早めに償却できるものは償却する前提で、設備導入の判断や原価計算を行っています。それでできるような見積りや採算も計算しています。利益があった場合でも減価償却を早くできる為、税金の支払いも減り、より利益の残る体制ができると思います。 あとは製造のルールですね。当社では基本的には、原価計算に合う製造だけを行うと決めています。不景気の時には、原価割れに近い場合でも、受注して、生産の稼働率を下げないようにする企業様もあるかと思います。利益率が少ない受注が増えると、従業員の負担も多くなる為、結果として社員の離職などに繋がってしまうなど悪循環になる可能性があります。そこに手を出さないようにするのも覚悟を持つことも重要だと思っています。 また、売れる製品・サービスづくりを信念を持ってやっているのか、売れる商品をつくり続ける環境をつくることが経営者の仕事だと思っています。 石中:ある意味、ルールや覚悟など、研究開発に取り組む大切さをご認識されて行動され続けているので、今があるのだと理解できました。ちなみに、研究開発が実際に事業に繋がるのか、ある意味新規事業の位置付けも多いと思っています。山本社長は今まで失敗しているような新規開発事業がないようにお見受けしますが、新規事業を進めていく上のポイントなどはありますか。 山本社長:そうですね、例えば新規事業になるかどうかは分かりませんが、常にキートレンドを頭の中にインプットをして意識し続けています。例えば、今から6年ほど前にから抑えている4大トレンドが「無人運転」、「新素材」、「3Dプリンター」、「ロボット」を意識しています。意識することで情報が集まってきます。社内の営業部署でもモノを基軸としたコンサルティング提案をお客様に行っていますが、そのような動きの中でも情報は集まってきます。 石中:山本社長はいつも手帳にアイデアを書かれている印象ですが、常にアイデアが思い付くのでしょうか。 山本社長:そうですね、例常に新しい業界、商品の開発のことを考えています。ものづくりで何ができるのかを常考えて、そして形にしたいと思っています。例えば農業などにおいても、知り合いの農家から相談を受けて何か解決できないかと考えているうちにアイデアが浮かぶケースが多いです。従い、自分が思い付くよりも、モノづくりで目の前の課題を解決できないかを考えて、それを研究開発センターで実証実験を行う、このサイクルを素早く回すことで、ある程度確度の高いものが生まれてきているかと思います。 石中:2021年5月末の決算が創業の中で過去売上、最高益であると伺いましたが、コロナ禍の中で、なぜそのような形ができたのでしょうか。 山本社長:10年前から取り組んできたことがたまたま結果として出ただけで、社員が頑張ってきただけなので、最高益だろうと何も価値がないと思っています。次に向けて今までの事は忘れて0から次の10年に向けて動いていっています。 石中:今までやってきたことを忘れて、次にまた取り組まれるのですね。次に向けてはどのようなことをお考えですか。 山本社長:真のエンジニアリング企業を目指しています。その為には、デジタル化を取り入れること、また優秀な人財を抱えることが重要です。例えば、製造業で人財が重要だとほとんどの企業様がおっしゃるかと思いますが、そこにどれだけ取り組んでいるかが重要です。 石中:確かに、良い人財の確保は必要ですが、なかなか採用や教育、育成にお金をしっかりと掛けている企業様は少なく感じます。 山本社長:私自身は、今後デジタル化が進むほど、モノづくりができる人財の重要性が高まっていると考えています。つまり良いモノを作れる人財を何人確保できるかは今後より重要になってくるかと思っています。今日本の中でモノづくり人材のレベルが下がっているように感じています。だからこそ、今後の10年は自社だけでなく、若手技術者の育成に力を入れたいと思っています。 石中:今後は山本金属製作所がものづくりだけではなく、世の中の技術者育成にも力を入れられるのは楽しみです。また技術者育成の取り組みに関してはぜひお伺いさせてください。 株式会社山本金属製作所について 山本金属製作所は創業当初より、精密油圧機器部品、工作機械部品、輸送機器部品・医療機器部品等の様々な部品加工を手がけることで切削加工技術及び接合技術を高度化させてきた。また加工品質に影響を与える加工中の加工現象を把握するため、自社で独自に計測機器や加工モニタリングツールの開発を行い、計測評価技術の高度化にも力を入れてきた。これら計測技術を用いた加工現象の「見える化」と長年培った加工技術を組み合わせることで、あらゆる加工状況に 対する最適加工条件の導出や加工トラブルの回避に取組み、他社との差別化を行うと共に、日本のものづくり基盤技術の高度化を目指している。 大阪の本社工場を中心に、岡山研究開発センターにて次世代技術の研究開発、大物精密加工部品の生産拠点として松江工場、さらには東南アジア市場開拓に向けたベトナム拠点で事業活動を行っている。 会社名:株式会社山本金属製作所 所在地:大阪府 代表者:代表取締役社長 山本憲吾 URL:https://yama-kin.co.jp 人気記事